田村 圓澄

タムラ・エンチョウ

1917(大正6)年 奈良県橿原市に生まれる。父・田村澄善は浄土宗国分寺住職
1934(昭和9)年 仏教専門学校(現・仏教大学)に入学(1937年に卒業)
1941(昭和16)年 九州帝国大学法文学部国史学科卒業、同副手。
1942(昭和17)年 同大学退官、土浦海軍航空隊教授嘱託として海軍少尉任官。終戦時は軍司令部勤務。海軍大尉。
1946(昭和21)年 結婚。京都の妙泉寺住職、堀川中学校教諭、京都大学大学院文学研究科入学。
1948(昭和23)年 同修士課程修了
1950(昭和25)年 同博士課程単位取得満期退学、仏教研究所設立に伴い参加。
1957(昭和32)年 九州大学助教授
1966(昭和41)年 —1967年(昭和42年)文部省長期在外研究員として、アメリカ合衆国カリフォルニア大学バークレー校、翌年5月、イギリス・ロンドン大学へ研究滞在
1968(昭和43)年 文学博士(九州大学、学位論文『法然上人伝の研究』)、同大学教授。
1970(昭和46)年 「日朝仏教交渉史の研究」で毎日学術奨励金を受ける。翌年から韓国を訪れるようになり、韓国の学者との共同研究が進む。
1976(昭和51)年 『飛鳥・白鳳仏教論』の出版に対し浄土宗学術奨励賞を受く。
1977(昭和52)年 「古代朝鮮・日本仏教交渉史の研究」に対し、朝日学術奨励金が交付される。
1980(昭和55)年 九州大学定年退官、九州大学名誉教授、熊本大学教授。
1981(昭和56)年 九州歴史資料館館長、1992年まで。
1982(昭和57)年 熊本大学退官
1983(昭和58)年 「九州古代史、日韓交渉史の研究と文化遺産保護の功績」により西日本文化賞受賞。
1991(平成3)年春 勲三等旭日中綬章受勲。
2002(平成14)年 仏教伝道文化賞受賞
2013(平成25)年7月10日 肺水腫のため死去。享年97歳。従四位を受ける


  • 色定法師と源平の争乱
    色定法師と源平の争乱
    田村 圓澄 [著]
    色定法師は、なぜ「一切経」を書写したのか。 1185年、平家は滅亡。2年後、色定法師は「一切経」の書写を始める。この色定法師の「一切経」書写の動機、目的、これを支えた綱首などの宋人や中世宗像を明らかにする。 97歳で生涯を終えた田村圓澄氏の最期の仕事。
    • 四六判 並製/136頁
    • 定価 1650円(本体1,500円)
    • ISBN 978-4-87415-930-9 C0021
    • 2015年2月発行
  • 古代海人の謎
    古代海人の謎
    田村 圓澄 [編]  荒木 博之 [編]
    申し訳ございません、品切れです 日本成立史の鍵を握る古代海人を、中国、朝鮮半島、ヤマト朝廷との関わりにおいて読み解く。参加者(50音順)=石井忠、井上秀雄、大林太良、奥野正男、高田茂廣、谷川健一、永留久恵、朴成壽
    • 四六判 並製/228頁
    • 定価 1815円(本体1,650円)
    • ISBN 978-4-906234-89-9 C0021
    • 1991年3月発行