1933年、ブラジル・サンパウロ生まれ。1940年秋に帰国後、同年初冬に中国黒竜江省富錦県へ家族とともに移住。1945年8月9日、ソ連軍の侵攻にあい、富錦街より避難。命がけの逃避行の途中で姉2人と生き別れたうえに両親を匪賊に殺害され、弟と2人中国に取り残される(著者12歳、弟10歳)。宝清県日本人収容所に収容され、のちに東北民主聯軍に参加。1953年3月に帰国。造船会社や商社勤務を経て、現在に至る。今は得意の中国語を活かし、通訳のボランティアなどで活躍する。