1898年5月17日福岡市西区(現・中央区今川)生。1920年「第四階級の文学」でいち早く労働者文学を定義して名を知らせる。22年朝日新聞の記者となり(のち退社)、同年より「詩聖」に詩評を連載して既成詩壇を縦横に批判し、萩原朔太郎とも論争を繰り広げた。戦時下にも「エクリバン」を発行したり、花田清輝と<文化再出発の会>を組織したりして、旺盛な活動を継続する。戦後は<新日本文学会>に所属、「新日本文学」等にもサークル詩評を連載して、労働者文学との併走を続けた。1966年5月13日逝去。中野正剛は実兄。単著に『聖歌隊』(帝国教育会出版部、1938年7月)『黄色い虹』(童話春秋社、1939年8月)『中野秀人散文自選集』(文化再出発の会、1941年12月)『中野秀人画集/画論』(文化再出発の会、1942年)『精霊の家』(真善美社、1948年1月)『中野秀人全詩集』(思潮社、1968年5月)がある。