コラム◎ 祖父・山本作兵衛と私 緒方惠美

連載初回  描かれた祖父
 緒方惠美さんは、筑豊炭坑画の作者・山本作兵衛さんのお孫さん。十二人のお孫さんの十番目。作兵衛さんの三男・照雄さんの長女で、昭和三十六年、田川市に生まれる。「われら坑夫の孫展〜山本作兵衛炭坑画の世界〜」などを企画する。
 孫から見た作兵衛さんの姿を綴っていただいた。「祖父・山本作兵衛と私」は随時連載する。

 葦ペンで丁寧に書かれた文字の手紙が来た。差出人は葦ペン画家の諸藤浩之さん。
 二〇一二年三月二十日から田川市美術館にての「われら坑夫の孫展」に、諸藤さんにいただいて保管していた一九八〇年の祖父の似顔絵を展示した。その時のお礼に対する返礼の手紙だった。
 一九八〇年二月十七日付けの「朝日新聞」筑豊版にこうある。
「異常な熱気作兵衛展 一万人がどっと」
 飯塚井筒屋での「山本作兵衛画業展」に、二月十六日一日だけで一万人が詰めかけたという記事だ。祖父が存命中八十八歳の時のこと。二〇〇点の絵を見れたその展覧会。私は覚えていない。その来場者の中の一人に諸藤さんもいらして祖父をモデルに似顔をスケッチして送った、と記事にある。この似顔絵は田川市文字山の父宅に保管されていた。
 祖父山本作兵衛は、私の知る限りでも多くの人から晩年の写真を撮ってもらっている。その写真の中でも父のお気に入りは、ウイスキーグラス片手に微笑む祖父。なんだかモダンでハイカラ(明治か大正的響きの言葉だけれど)なイメージ。でもグラスの中身は常温の日本酒だし、祖父は普段着の着物。この写真は祖父の初盆のときに仏壇にも飾ってあった。従兄が「この写真いいね」というのは、ドリフターズの志村けんさんまがいの、右手でアイーンのポーズみたくな手をしている祖父。グラスとアイーン、どちらも撮影は本橋成一さん。
 私は画を描いている時の写真で気に入っているのは大杉公志(まさゆき)さんの撮影のもの。他にも●昭(ペソ)さんや水谷積男(もりお)さんや、有名無名の、カメラを持つ人たちが祖父を撮っている。
 私の一番好きな写真は、父が撮ってくれた座って赤ちゃんを抱く祖父。夏のことで上半身裸の祖父。祖父の右手には団扇。褌で生涯を貫いた祖父だったから、褌の上の下穿きは面のステテコ一枚。七十歳になったばかりの祖父は父のカメラに向かい笑っている。抱かれている赤ちゃんは私。祖父に抱かれ、それを写真マニアの父が撮り、母がアルバムに日付入で貼っておいてくれた。
 この一枚があるだけでも私はなんて幸せなんだろうと思う。三人姉弟だった私は長女のせいか、母が、一歳までの私の写真をきれいにアルバムに貼ってくれている。一人で写っているものもあれば、父方母方両祖父母や従兄や親戚と一緒のものもある。これを見たら「みんなかわいがってくれてありがとう」と思わずにはいられない。だから、それにならって娘が生まれてからのアルバムは幼稚園に上がる前だけでも十冊を越えるくらい私は写真に撮った。後で娘がこれを見たときに、一緒に写る人たちのことも思えるような人に育ってほしかったから。
 祖父を撮った人は数知れずというほどいるのだが、祖父を描いた人は私は三人しか知らない。というより、三枚の祖父の顔の絵を見た。一枚は吉岡勲さんの描いた油絵で、ハッキリ言って抽象的な感じがするので「これは作兵衛さんです」と言われないと祖父だとは分かりにくい。その絵は今福岡県立大学に保管してもらっている。
 吉岡さんの絵は祖父の旧居に祖父亡き後一九八四年から二〇〇二年まで誰も住まない家に飾ったままで置いてあった。私は、あることさえ知らなかった日記も、十八年間置いてあったものの中にあった。他にも、たいそう高名な作家の作った博多人形も床の間に置いたままだった。この博多人形は爺婆の能の衣装を着たもののようだった。爺の首は折れていた。婆の方は無傷だったので、直方の「つむぎの里」に差し上げた。これが、たいそう高名な博多人形師の作で、しかも大切な贈り物だったと、後から飯塚の懐石料理屋・佐幸の塩谷さんから聞いた。
 祖父の似顔絵の話に戻る。もう一枚は菊畑茂久馬さん指導の壁画の隅に描かれた南伸坊さんの描いた小さな似顔絵。これは私から見て、あまり似ていないと思う。眉が太くて、九州男児的に描かれているけれど、祖父は色白で、どちらかというと細面。身体はがっしりしているけれどもスマートで太っていない。でも、南さんの祖父に対するイメージであるならば、その似顔絵もまた祖父なのだと思う。
 そしてあと一枚が諸藤さんの描いた絵だ。これは手元にあるので今も普通に皆にお見せすることが出来る。少し顔が細すぎる気もしなくもないが、きわめて似ているように思う。

2012年6月7日
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