水俣みずの樹
著者 藤本 寿子
2003年、産業廃棄物最終処分場の建設が計画された。寝耳に水のこの計画に憤りを隠せない住民達は、この計画を阻止するために起ち上がった。チッソによる水銀汚染に対し、水俣に住み着いて患者達と共に闘ってきた著者。この産業廃棄物最終処分反対運動は、直接的に関わる事の無かった山間部の市民と街の中心の人々、水俣病の患者達を結び付けるきっかけとなった。今もなお、埋め立て地に残り続ける水銀、多くの解決できない問題を抱えながらも、確かな足どりで歩み続ける人々の思いとは。
著者略歴- 藤本 寿子
フジモト・トシコ - 1953年、鹿児島県出水市に生まれる。1958年、滋賀県守山市へ父などと共に移転、チッソの工場近くに住む。1975年、花園大学文学部国文科卒業、滋賀女子高等学校に国語教師として勤務。1977年、水俣病センター相思社にて活動をする。1990年、「ガイアみなまた」のメンバーとなり、現在に至る。書著に『水俣海の樹』(海鳥社)がある。
序
第一章 水音のする村
第二章 湯治の山里
第三章 山に生きる
第四章 慈悲なる地
水俣市産廃関係年表
あとがき