倭国の遣隋使

倭王多利思比孤は筑紫国王である
西暦600年の第一次遣隋使派遣。これをきっかけに隋・唐との交流が始まり,日本は律令国家へと歩み出す。
いわば古代国家形成の出発点である遣隋使には,いまだ多くの謎がある。
物理学をバックボーンとする著者が,日本書紀や隋書倭国伝などを“実験事実”に見立て,遣隋使の諸問題を合理的に考察。
7世紀初頭の日本の姿を明らかにする。
著者略歴
久保 英範
クボ・ヒデノリ
理学博士(九州大学理学部)。1942年,岡山県生まれ。1965年,大阪大学基礎工学部電気工学科卒。大阪大学基礎工学研究科物理系博士課程中退。1969年,九州大学工学部電子工学科助手。1985年,福岡工業大学工学部電子工学科助教授。1987年,福岡工業大学工学部電子工学科教授。2013年,定年退職。福岡工業大学名誉教授。
主な著書:「わたしの有機無農薬栽培」(農文協,1999年),「電子回路の基礎」(愛智出版,2002年),「私の異文化交流記」(愛智出版,2004年)
目次

序章 日本古代史における「遣隋使」の重要性

第1章 第一次遣隋使:隋書倭国伝の倭王多利思比孤
 倭国伝の「阿毎多利思比孤」は倭王の名前か,天皇の通称・一般名称か
 倭国伝の倭王多利思比孤は女王か
 倭王の号「阿輩雞弥」と「利歌弥多弗利」という名の太子
 日本書紀はなぜ第一次遣隋使に一言も触れないのか

第2章 隋書倭国伝が示す「倭国」という国家の実態
 大和政権ではあり得ない郡県制の「軍尼制」による国内統治
 倭国では「兵ありといえども征戦なし」
 倭国の先進的な裁判制度
 倭国国内に阿蘇山がある

第3章 第二次遣隋使:自主独立・対等の倭王多利思比孤
 自主独立・対等の立場を明示した「日出ずる処」国書
 隋皇帝は多利思比孤を「宣諭」するために裴世清を派遣した
 多利思比孤が「朝貢」を認めるという変節
 隋の使者裴世清に対する多利思比孤の熟慮の対応

第4章 日本書紀が提起する遣隋使の諸問題
 奇妙な事件,百済での国書盗難事件
 日本書紀によって造作された隋皇帝国書提出儀式
 隋皇帝国書は多利思比孤の「日出ずる処」国書への返書
 多利思比孤の遣隋使蘇因高は小野妹子か
 日本書紀はなぜ「日出ずる処」国書を載せないのか
 実際には提出されなかった「東天皇」国書

第5章 隋書倭国伝の倭王多利思比孤は推古天皇ではない
 「多利思比孤≠推古天皇」を示唆する隋書倭国伝と日本書紀の主要な内容
 「多利思比孤=推古天皇」を示唆する日本書紀の事項

第6章 隋書倭国伝の倭国は筑紫政権の筑紫国である
 6世紀前半,筑紫君磐井の筑紫国
 隋書倭国伝の倭国に無理なくつながる筑紫政権の筑紫国
 7世紀,筑紫国と大和国の併存を示す旧唐書
 筑紫政権の実像と大和政権との友好的関係

結論 倭国の遣隋使

別章 冠位十二階は大和政権の冠位制度ではない
(一部抜粋)


倭国の遣隋使

A5判 上製/634頁
定価 2750円(本体2,500円)
ISBN 978-4-86656-171-4
C0021
2024年9月発行

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カテゴリー: 歴史・民俗