明解 法華経要義
人類の宗教文化史上、「法華経」ほど、時空を超えて読み継がれた教典は稀である。そして時と処において根付き、いかなる人々にも心を癒し、救済を果たしてきた聖書である。(中略)
編者は法華修行の範を本多日生師に求められたようである。本多猊下は、明治大正昭和に跨がり、仏教界のみならず、日本の思想界をも統率した英傑であった。今日、世界的企業となったトヨタの創始者豊田佐吉翁も、同年であったことも手伝い、本多猊下より多くの薫陶を受けた一人であった。
元東洋大学教授 元日蓮宗勧学職顕本法華宗 布教総監 河村孝照
(本書「序」より)
- 立ち読み
- 明解 法華経要義
著者略歴
- 土屋 信裕
ツチヤ・シンユウ - 東京染井・法林山蓮華寺、昭和36年出生。航空自衛隊F4戦闘機幹部操縦士、大手商社を経て、航空会社の機長として国際線・国内線を飛行する。その傍ら、宗派を超えて日本各地で講演を行う他、アジアの仏教界と協賛して行う「妙法の行進」を5年間に亘って同志と共に推進した。インド・カンボジアの現地僧侶延べ4000人を動員し、2万冊の本多日生師選出の要約「妙法蓮華経」(現地語訳)を作成・配布。現在、欧米・アジアなどに布教の拠点を開設している。一般社団法人顕本法華宗義弘通所代表理事、「法華行者の会」主宰。編書:『明解 法華経要義』(海鳥社、2013年)
- 本多 日生
ホンダ・ニッショウ - 慶応3年姫路藩士国友堅次郎の二男として生まれ、菩提寺の本多日鏡の嗣子となる。哲学館(後の東洋大学)に学ぶ。宗門の積弊不振を嘆き、24歳教務部長となり教学布教に振るうも、宗門内の怨恨をかって、突如剥牒処分となる。正義貫徹のため、顕本法華宗義弘通所を各地に開設し東奔西走す。各宗協会から師を宗門に復帰させよとの声起こり、僧籍に復し妙満寺派綱要を編す。顕本法華宗と宗名を改す。仏教界の退廃と日蓮門下の分裂を憂い、各教団有志を募って統一団を結成。後、各界の名士からなる天晴会、その他講妙会、夫人のための地明会、労務者のための自慶会などを創す。日蓮聖人の唱える本仏・釈尊中心の仏教と、人生に勇気と慈悲をもって歩む信仰の感激を全国に展開し活躍す。明治から昭和にわたる日蓮門下の偉大な存在である。 昭和6年、65歳寂
序品 第一
方便品 第二
譬喩品 第三
信解品 第四
薬草喩品 第五
授記品 第六
化城喩品 第七
五百弟子受記品 第八
授学無学人記品 第九
法師品 第十
見宝塔品 第十一
提婆達多品 第十二
勧持品 第十三
安行楽品 第十四
従地涌出品 第十五
如来寿量品 第十六
分別功徳品 第十七
随喜功徳品 第十八
法師功徳品 第十九
常不軽菩薩品 第二十
如来神力品 第二十一
嘱累品 第二十二
薬王菩薩本事品 第二十三
妙音菩薩品 第二十四
観世音菩薩普門品 第二十五
陀羅尼品 第二十六
妙荘厳王本事品 第二十七
普賢菩薩勧発品 第二十八